忍者ブログ
雪花の日記です
×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

急遽祖母宅へ宿泊することが決まってしまったために
戻ってくることができませんでした…
そのあいだに必要な儀式はすべて終えてきました。
まず先にお返事にお返事です。

■(6日)
こんばんは、ただいま戻りました。
お返事が遅くなりましたことをまずお詫び申し上げます。
御言葉は有り難く頂戴いたしておりましたが、すべてが終わるまでは
未体験の出来事ばかりで不安もあったもので、自分の思うことを
吐露するので精一杯になっていました、無駄話ばかりでしたが…
それでなくてもこの日記、たまに時間差が発生してしまいます;
なんだかね、終わってみると目覚めたようにすきっとしています。
儀式の最中は泣きもするし悲しかったのですけれど、
終わった今はなんだかかえって晴れやかな心情でおります。
納得ずくというか、迎えるべくして迎えた死だったのでしょう。
とりあえずは祖母のことをいたわりながら、
少しずつ日常に帰するものと思います。
死について、あとから思うところはたくさんあるかと思いますが、
それでもとても自然な成り行きであったと思えます。
死者を前にして泣くこと、
また悲しむことは実は自分のためらしいと思いました。
悲しいだけで終わるようなことは祖父に対して礼を失する気がします…
祖父は礼儀や規則に厳格な人でした…ので、
私は私なりに、彼に対して恥のない生き方をしようと思います。
御言葉ありがとうございました。
重ねてお返事の遅れをお詫び申し上げます。
ドロン解除になったらまたお話しいたしましょうね笑。



御弔辞をくださいました方々様、祖母に伝えましたところ
御礼とくれぐれもよろしく申し上げるよう言いつかりました。
ネットの端っこの人間の祖父に対して…遠…ありがとうございました。
まずは略式で不躾とは存じますがこの場で御礼申し上げます。
ここから長くなりますのでスルーする方はこのあたりで御機嫌よう。

人間が死ぬということの定義について、
身体と意識の関係が今ひとつ納得いく想像に落ち着かないもので
うまく言えるかどうかわからないのですが…
身体の制御力を失うことを死と呼び、身体機能のすべてが停止しても
生前と変わらずに意識は身体に宿っていて感覚も備わっており、
最後に火葬なり土葬なりされることで味わわされる痛みや恐怖が
この世における罪に対する罰であるのではと思っていたのです。
でもこの説だと意識というものが物理的に消滅させることの
できるものということになるんですよね、
燃えて途絶えると思っているから。
これでもうこの説は辻褄合わなくて却下なのです。
これ言いたいことのニュアンスすらわかってもらえたことありません。
この世における罪に対する罰という発想がまず宗教かぶれしていて
いただけませんね、影響受けた発想は大抵それに類するものにしか
なりえない気がして。
でも実際にごく身近な人間の死を体験してみると少し考え方というか、
見る目が違ってきたような気がしました。
それが近代化技術のおかげで死すら事務的な色をおびており、
人が死ぬ、苦しむというところを直接目にする機会に乏しいため
かも知れませんが…かなりぬるま湯浸かりの認識でしょう。
まぁどんなことに対してもわかりきったつもりでいるのは赤っ恥です。

ええと、祖父の遺体を棺に横たえ釘を打ち付けて、
火葬場へ行ってから荼毘に付す、これももう台車に乗せてオーブンの
中にぶーんって感じだったので燃してる感じなんてしませんでしたよ。
火なんか見なかったし屋外で空を見ていても煙も出ないし。
どうなってるんだろう…
いちいち泣いたのは私だけでした。
でも食欲もずっとあったしふらふらもしなかったし、
白骨になって出てきた祖父を見てもそれほど動揺せず。
ただあまりにも寝てるだけみたいな死に顔だったもので、
目を覚ますような気がして火葬してしまうの早まってるんじゃないか
という焦りがいつもありました。
でもそれでよかったのですよね。
火を見ないということが、先述の死に関する持論を薄めてしまって、
つまり祖父が火にまかれて苦しいとか痛いとか熱いという想像が
どうしてもできなくてね、それはそれで良いのですが…
空には虹が出ました。
苦しくなく逝けたらしいと親族のあいだではそれで決定項でした。

骨を拾うときに、自分たち含めいとこ(祖父から見ると孫たち)が
全部で五人いるのですが、頭蓋骨をおさめるときに男の子に
やってもらいましょうとか係員から性別で決めた指示があって、
それがとても腹立たしかったです。
手袋はめて祖父の頭の骨を持ち上げて骨壺におさめるのですが、
もしかして私が恐くて泣いてるんだと思ったのでしょうか。
そんなあほな…やりたかったんだから…
それで結局は見てるだけでした。
私が泣いてたのは係員たちが骨壺に骨が入りきらないからって
ごまをするすり棒でごりごり骨を砕きやがったことに
腹立ててたからだよもう!! 何様!?
彼らだって仕事ですし好きこのんで知らない人の骨を
ごりごりやってるわけじゃないでしょうが。

これを言うと本当にイッちゃってる人決定ですが、
祖父の骨をひとかけら欲しいなぁと思っていました。
手を出せませんでしたが。
もらって飲み込みたいなと思ったのです。
人間の愛情と性欲とは食欲につながるような気が常々していて、
それを自ら裏付けた気がしました。
たとえばつもりつのった感情の果ての一体化願望を満たす手段として、
セックスだったらおおよそ両思いである分違う意識を持った個体同士が
くっつかなければならないというちょっとした面倒がありますが、
食するだけだったら自分の意識だけでひとつになることができます、
一方通行の愛情ですから良かれ悪しかれ歪んでいますが。
それは自己満足であること前提の一体化の手段です。
でもそれをやりたいなと私の意識は欲したらしいです。
別に私にカニバリズムの気はありませんよ。…たぶん。
今間違った言葉を使ったのではと思って「カニバリズム」を
調べてみたら、そもそもが「死者への愛着から魂を受け継ぐという
儀式的意味合いがある」といった指摘もある事柄のようです。
なるほどぉ ウィキペディア先生より引用。
この意味でならありなのかもしれない。
人から過程を見ないで骨という結果を見るとあんまり
おどろおどろしくなくて、そういうことも普通に考えられました。

変な人炸裂でごめんなさいね。
別に近しい人の死を迎えてショックを受けておかしくなった
ということではない…と思う…
でもとりあえずしばらく、
気持ちの方向性が定まるまではじっとしています。
「学校の怪談」だけは書けそうな感じ…
ねりちょぎ
お名前
タイトル
文字色
メールアドレス
URL
コメント
パスワード   Vodafone絵文字 i-mode絵文字 Ezweb絵文字
クリック募金
クリック募金システムです。
下のバナーをクリックすると
クリック募金のページが表示されます。
一日一回クリックすることができ、
ワンクリックで一円を募金することができます。

東日本大震災 支援クリック募金
■うさうさ■

わすれないよ うさうさ
■ブログ内検索■
PR
忍者ブログ [PR]