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雪花の日記です
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なんだかこのところ日記が抜け落ちることがありますが
別に特別変わったことがあったわけじゃなくて、
普通に忘れちゃってるのです、どうしたのでしょうね。

やこすけが仕事帰りに「幽・遊・白書FOREVER」を買ってきました。
例のカクカクポリゴン格闘ゲームです。
うーん。
いえね。
やってませんです。
うちプレステ2ありませんから…
もうプレイされた方が感想を仰っているのを見たりもしたのですが、
私が実際にプレイできるのは少し先になりそう。
でもなんだかね、手に入れられずにいられない人に
なりつつあるのでしょうね。
幽白ブランド化現象と勝手に名付けて呼んでいますが

今日は全然違うゲームをちょっとやりました。
赤川次郎原作・監修「夜想曲」です。
サウンドノベルで、恐い系ゲームみたいです。
中古で680円くらいで、赤川氏はちょっと好きなのでチャレンジ。
もともとあまりゲームとかやらないほうです。
恐い系はどちらかというと苦手なのに欲しくなることは多くて。
昔やったのは「かまいたちの夜」でした…

「夜想曲」は三時間くらいやったのですが、
うちの探偵事務所とちょっと似たシステムというか、
マルチエンディングで九つのラストが各話に用意されていて、
九つのうち正しいエンディングに到達しないと次の話へ進めないのです。
三時間やって到達したのは一話目のエンディング3/9。
三話構成ということですから、まだまだ序の口。
それでも主人公が何者かに殺されるエンディングは
しっかり見てしまうという不器用さ…
「かまいたち」でも主人公(男性)が
彼女にやっつけられるエンディングばかり見ました…
正しいエンディングが出るまで
同じシナリオを何度でも読まなければならなくて、
それがちょっとプレイヤーとしては苦痛気味。

探偵事務所も同じように苦痛に思われる方がいらっしゃるでしょうね…
と、改めてちょっと思いました。
メールでヒントというのも面倒だし、
たぶん躊躇われて諦めてしまわれる方もいらっしゃるでしょうから、
攻略掲示板でも作ろうかしらとか考えました。
みんなでディスカッションできそうな掲示板…
というほど賑わうとは思えませんが…

恐いゲームは夜には出来ないので(夜中トイレに行けなくなります)、
夕方のまだ明るい頃に、他の人も一緒にいる部屋でやりました;
…さっきちょっとゴロゴロうとうとしていたときに、
耳元で空恐ろしいささやきが聞こえたのは気のせいですよね。
思わず跳ね起きた自分があまりにそれっぽくて笑えません…
大したことじゃないんだけど、今「ネス湖のネッシー」って言葉が
頭から離れてくれなくて困っています。
なんでー!!?
何の前触れもなく…(:_;)
王様の耳はロバの耳な気持ちで、吐き出すべくやってきました。
意味わからないです…
毎日巡るサイトさんっていうのが雪花の場合20↑↓くらいあって、
更新ももちろん楽しみなのだけれど、
管理人さんの日記を楽しみにしているという部分がかなりあります。
自分でサイト管理をしてみると実感として思うのですが、
毎日更新するというのはサイトオープンしたての情熱のなせるわざで笑、
時間を経たりオフラインが忙しかったりすると
どうしてもサイトにばかりかまけているわけにはいかなくなります。
今の雪花の感覚では一週間に2~4回更新くらいが理想的ですが、
最近は思うにまかせない状態です。
それでもほぼ毎日日記は書きに来ますね。
私の場合は日記をつけることをサイト更新とは呼びませんが…
他のサイトさんでは私はいち閲覧者です、当たり前ですが、
それであまり管理人さんに対してコンタクトをとらないタイプです。
でも日記を拝見したりするうちに、
管理人さんに対して一方的な親近感を抱いていたりはします。
たとえば管理人と閲覧者のあいだに交流をと思うなら、
管理人が一方的にこうして喋り尽くすだけの日記というコンテンツも
役割を果たしているんじゃないかな、と思いました。

でも雪花は楽しんで読んでもらえる日記を書けているとは
あまり思えていませんが…
できるだけサイトに関係のない愚痴とか、
そういうことは書かないように気をつけるつもりはある、つもりは。
この日記はページ下部の右下にカウンタがついているのですが
(最初設定で消そうと思ったのですができなかった)、
意外に見に来てくださってるかたがいらっしゃるのですよね。
ありがとうございます。

日記でだけ更新しそうなところをほのめかしてみる↓
夢小説じゃないですが(ごめんなさい)
リンクページからもリンクしている「勝手にドリーム小説マナー」さん
というサイトさんのスレッド掲示板を見て、
やっぱり自分の意見が書きたくなった。
ということで、独り言。
それと、ずっと滞っていたレスのうち、
今日はweb拍手レスをやっつけます(そんな言い方…)。
拍手のコメントって二週間しか保存されないので、
そろそろいくつかいただいたコメントが危ないです。
…まめにレスしましょうよね…
天然で日記書くの忘れていました。
こんなことってあるんですね笑。

「優しい時間」っていうドラマを御存知でしょうか、
その中に登場する喫茶店では、
お客さんが自分で挽いたまめを使ってコーヒーをいれて差しあげる
というサービス? でしょうか、がありました。
雪花はコーヒー飲めないのですけれど、
それがやりたいやりたいと兼ねてからわめいておりまして、
そうしたら母がこの間まめを買ってきてくれました。
ミルはあったので、念願のまめ挽きやりましたー★
ごりごりごりと。
面白かったです。
挽きたてのまめでいれるコーヒーはやっぱり美味しいのですって。
味がわかるようになりたいものです…
この世界には絶対的な支配者、仮に神様と呼ぶとして、がいます。
神様は自分に似せて、命があるような人形を造形するわけです。
神様の所作に惚れ惚れとした一介の人間がそれを真似て
やはり人形を作るわけですが、それは真実生きているとは言い難い。
生きていたとして電池が切れたら黙り込むような命です。

神様は自分の手による人形を、
自分の手によるドラマという名前のレールに乗せて動かし、
人間の目を楽しませます。
やっぱり人間はそれを真似てドラマを作り人形を動かそうとしますが、
その楽しみの質はまったく異なるものです。
それはわかっていて人間はそれでもやめられません、
ニセモノでも楽しいと言ってくれる人がいることはいるので。

その言葉に調子に乗って人間は切磋琢磨としたつもりで
人形を造形し続けるわけですが、
あるときそれがあまりに思惑と外れていることに気付かされます。
いつの間にか神様への憧れという最初の純粋な感情が、
人間のまったくの自己満足というものにすり替わっていたのです。
人間は驕ったつもりで造形を続けていたつもりはありませんでした。
けれど自分でも気付かぬうちに、
神様の所作に対する愛情が、自分のニセモノを楽しんでくれる誰かへの
愛情に変わってしまっていました。
それを堂々と宣言してもいました。
それ自体は悪いことではないはずです。
でも人間は疑問を抱かずにいられません。

なにか違うんじゃないかなあ、と。

ところで人間は、自分が真実神様となれる世界を別に持っていました。
それでも人間は神様のしつらえた舞台に上がっていくことを好みます。
その人間が持つ世界は、その人間本人だけが知る世界です。
自己満足で楽しむにしても舞台が小さすぎるのでした。
器に見合わない名声を得たいと、
そんなつもりはなくてもそうなのかもしれません。
ここまで考えて、人間はちょっと苦しくなってきました。

二次創作やる意味がこんがらがってきたわ、と。

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所詮人間は神様になれず、神様を真似て本物に近づくこともできず。
このサイトにいる某人間、それをわかっててやってはいます。
でも思うのです。
神様への愛情が嘘に見えてくるのは苦しいな、などと。
スタート地点を見失っているのがいやなのです。
それが「StrangeChildrenの蔵馬像」ができあがりつつあるのがいや、
という言葉になって出てきました。
創作とは自分との対話です、そこを経て次段階が受信者との対話。
経験を重ねて考え方に変遷があるのはいいのです。
でも、一番最初にあった動機は、
愛情という名前のいちばん穢れない綺麗な気持ちだったはず。
もともとオリジナルをやっていた立場だから
尚のことその傾向に陥りやすいと言えますが、
愛情に自分の創作を掘り下げる行為が荷担し始めました。
目的がすり替わり、愛情は変わりなくあるはずだけれど
勘違いに近い状態になりつつあります。

二次創作や同人活動ってお気楽、
そもそもの創作者のことなんて知らない、
私楽しいからそれでいいやって雪花は言えません。
他の人がみんなそう言ってるというわけじゃないですよ。
でもそういう風潮が漠然と、全体的にあるのは否めない。
冨樫先生が黙っているのをいいことに好き勝手やってごめんなさい、
ごめんなさいと言いながらやめようとしなくてごめんなさい、
謝って表向きいい子ぶった振りしています、
それでもやっていることは他の誰とも何とも変わらないです、
わかっていてやめられません、それでも他に言葉がありません、
ごめんなさい、とにかくとにかく、
という感じなのです。

二次創作でも確かに自分の創作であることに違いはなく、
ある部分では著作権を主張することすらもできることはできる
(当然だけど偉そうに言える立場じゃない、本来言えなくて当然)。
そういう視点から行けば、独自のキャラクタ像ができていても
許容範囲でしょうと雪花も言えます。
でも雪花はひとつの視点からものの姿が見えると思わない。
できる限り考え得るすべての可能性を考えた上で、
自分が納得するところだけを拾い上げて自分の持論を組み上げます。
だから、
ある場合にはそれは許容範囲でも、気持ちではいい印象持てないな
というとっても曖昧な考えをときに大事にしたりします。

こんな考え方があるなら二次やる必要どこにあるのでしょう、
それを考えるとやっぱり愛情という原点に還るのではありますが。

最後にね、作品に対して寄せられた言葉というものは、
その内容が良かれ悪しかれみんな批評です。
自分にとって甘い言葉でも苦い言葉でも、
受け取った人はそう思ったのだということですから。
おおよそは思ったところで終わるのが普通だと思いますが、
それをわざわざ伝えてくださったというところに、
書き手として感じ入るものがありたいと思っています。
行動して見せてくださるということこそが、
自分がその人に批評されたということの現れとも言えます。

商売ではなく書いている自分には言い訳や反論が許されます。
そこに甘えるわけではないけれど、
更に重ねてお伝えしたいこともあったりするから。
うん、うざったくってごめんなさい。
考えが思いつくと作品じゃなくてもそれも書きたくなる、
結局雪花が最後に行動に移すとき、それは「書く」というものになる。
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