雪花の日記です
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はばちゃんと雪花はとっても仲良し。
普段は暴君な彼も雪花とは結構相性がいいのです。
お茶の介入もなく続けておつきあいしていくとちょっと辛口ですが
それでも雪花はおおよそのほほんとしていられます。
…何の話かって、アレです、暴君ハバネロ。
雪花の周りの人々はベビネロですらすでにダメだと言いますが、
雪花自身はまったく平気、はばちゃんもベビーも美味しくいただきます。
皆さんはどうですか??
やっぱりはばちゃんと仲悪いですか?
てゆうかベビネロご存じですか?
北海道は商品の登場が内地よりもひと月くらい遅かったり
するそうですから、流行り廃りの時期も違うのでしょうけれど…
ではラスト一日、
++おみやげ話06++
パリ旅行最終日、つまりは帰りの飛行機に乗る当日です。
飛行機が午後の便だからといって午前中にルーヴルに行く予定が。
どうもこの旅行のプランは杜撰で行き当たりばったりでした。
これが旅行会社の仕事なのだろうかと疑問に思わないでもないでした。
バスに乗ってルーヴル美術館へ。
セーヌ川に沿って走り、先日渡れなかったアレキサンダー三世橋を渡って
セーヌの中島・シテ島へ。
ルーヴルとオルセーというふたつの有名美術館が、
こうして川を隔てて隣り合っているというのがまたすごいです。
ルーヴルには作者不明のものを含む古代からの古い美術品を、
オルセーには印象派絵画時代の美術品を展示しているそうです。
このふたつを制覇するのに、ひと月は必要でしょう。
たかだか帰国間際の数時間ではいいとこどりがせいぜいです。
ところで、旅行前に雪花は「ダ・ヴィンチ・コード」という
最近ではかなり有名どころの小説を読んでおりました。
ルーヴルに始まりルーヴルに終わる推理小説です。
その話には…ネタばれ注意報です…キィワードとして
ルーヴルのガラスピラミッドが登場します。
それも、外から見える普通のガラスピラミッドではなく、
ルーヴル地下に地面から下がっている逆さピラミッドのほうです。
ルーヴルの地下駐車場にバスは止まり、歩いて館内へ。
まず添乗員が手続きするあいだに、地上に出る階段から
ガラスピラミッドを見ておいでと言われて外へ。
もう雪花の頭の中には「ダ・ヴィンチ・コード」しかないわけです。
ミニ凱旋門(もちろん工事などしていません)とピラミッドを
写真におさめて地下に戻ると、自由時間後の集合場所へ
連れて行かれました。
それがあの逆さピラミッドだったのです!
ひとりで声もなく叫びました。
一緒にいた友人たちが一歩引くくらいにはテンションがあがりました。
荷物検査をしたあとでまずはどこそこにと言いたいところですが、
ルーヴルは広すぎたのです、どこに行ってここに行って、
というルートを覚えてなどいられません;
ラファエロの絵を何点か、さまざまな彫刻、そしてルーヴルの建物自体が
元々お城だったので芸術品のようです。
いろいろ見たあとでまずは目玉のひとつ「モナ・リザ」に会いに行きます。
モナ・リザも「ダ・ヴィンチ・コード」に多少登場した絵です。
ルーヴルに展示されている作品の多くはガラスケースなどにも入らず
裸の状態で展示されていますが、
さすがにモナ・リザにはガラスのバリケードが。
人がたかって写真を撮っていました。
そう、著作権などとうに消滅したほど昔の作品群ですから、
ルーヴル展示品はフラッシュ無しなら写真におさめることができるのです。
正面の前ポジションをキープできるまで人混みをかき分けて辛抱して、
やっとモナ・リザを写真に撮りましたが、
実物との対面は思ったほど感動的ではありませんでした。
感動していられるほどの余裕がないというのが正確でしょうか。
とにかく押しつ押されつのすったもんだの中で、
優雅に感動を覚えられる状態じゃないのです。
当たり前にそこにいて微笑むリザ夫人をそこでそうして眺めるのも
また当たり前、というように自然に感じたものでした。
モナ・リザと別れて進む一行、次に目指すは勝利の女神。
「サモトラケのニケ」です。
これは雪花の父上御贔屓の彫刻で、ルーヴルに行ったらニケがいる、
などと出発前に何度か聞かされておりました。
…父上はいつかニケを味方につけたことでもあったのでしょうか?
ルーヴルの有名どころのひとつですが、
雪花はそうやって話を聞くまでサモトラケのニケの存在を
知りませんでした;
ニケは広い階段の踊り場部分で羽根を広げて立っていました。
微笑めば勝利を招くはずの女神の顔がちょうど欠けていて、
刻まれたその石がなぜニケという名を授かったのか…などと、
ふと思いを馳せてしまいます。
父上に見せようと思って、ニケも写真に撮りました。
今日の日記の写真は、携帯で撮ったニケの遠景。
ぼけぼけで神々しさなど微塵もありません…
ニケをあとにして、残るはかの有名な「ミロのヴィーナス」。
ヴィーナスの彫像で雪花が見惚れるのはなんといっても
あのウエストラインです。
女性の身体の線は生身のそれもすでにひとつの芸術のよう、
と思わされることがしばしばですが、
ミロのヴィーナスのウエストは一時間ほど見ていても飽きないのです。
…というところを理解してくださる方がいないのですが;
思ったよりもヴィーナス像は大きくて、
美術写真で見るように正面からの視線ではなく
見上げるかたちになります。
そうすると、見え方がどうも違うのですね。
たとえば、まったく別な彫像ですが「ダビデ像」、
あれは人間の目線で行くと見上げるのだということを前提に
彫刻されていて、見上げたときに一番美しく見えるよう計算されています。
だから正面から見るとバランスが悪くて奇妙なのだそうです。
ミロのヴィーナスにそこまでの配慮があったかどうかは知りませんが、
これまで正面から撮された写真を見慣れていたためか、
見上げる目線だと受ける印象がやはり違いました。
そしてここも人で混み混みで感動する余裕もありませんでした…
ニケにしろヴィーナスにしろ、身体の部分が欠けています。
雪花が思うのは、この欠落がなければここまで賞賛されなかったかも
しれないということ。
人間は腕を持つために羽根を持たない生き物で、
人を越えた存在はその両方を持つのだと
多少キリスト教的なイメージの考え方をしてみると思えてきます。
ニケとヴィーナス、ふたつの彫像は人を越えた神の名をいただきながら、
羽根を持てば腕を持たず、または両方を持たず。
あるはずのものがないというその空白に人は夢を見るのかもしれません。
また、完璧で欠落したところのないものには美しいと思わせる
余地すらないのかも知れないとも思います。
そうしてみると、ニケもヴィーナスも、神でありながらとても人間くさい
姿でそこに立っているのかも知れません。
たとえばこの蘊蓄が浮かんだことを良いにしろ悪いにしろ
感動と呼ぶのなら、それはそれでよい、
そういうものなのでしょうと思う。
この三大美術を見終わってしまうと、見学ツアーも大抵は終わりです。
だから個人旅行でもう一度という野望は尽きない雪花ですが。
最後に売店で日本語版ルーヴル美術館目録を2冊も買って。
あの逆さピラミッドまで戻ります。
他にも見たいものはたくさんあったのに名残惜しいです。
クラーナハの邪悪なヴィーナスとか…ドラクロワの狂えるメディアとか…
ところでこれも「ダ・ヴィンチ・コード」に登場したデッサン、
「ウィルトウィウス的人体模型図」ですが…
後日、これはルーヴルではなくイタリアの美術館所蔵ということが
明らかになりました! バカっ…
だから、ウィルトウィウスの1ユーロ玉はイタリア発行のものなのですね。
けれど最終日にしてやっと芸術の都に来たという感慨がわきました。
外から見るだけならあれほどの芸術といわれるものが、
当たり前にそこにある事実。
当然過ぎて珍しげのない奇妙な状態でした。
ルーヴルを出てバスに乗り、ホテルへ帰還。
チェックアウトは朝のうちに済ませてしまっているので帰る部屋もなく、
とりあえずスーパーマーケットで最後のお買い物。
昼食にまたクロワッサンとクリームパイを。
みんなはうんざりだったでしょうが、私はかなり名残惜しい気持ちでした。
またバスでシャルル・ド・ゴール空港へ。
なぜか行きの飛行機より帰りの飛行機のほうが飛行時間が短いとか。
搭乗までにずいぶん待たされて、その隙におみやげをばかすか購入。
ところでやこがなぜか行きも帰りもどこの空港でも
身体検査に引っかかってました。
金属探知器を何度あてられたか知れません。
そうして飛行機に乗り、遠ざかるパリの夕暮れに別れを告げます。
帰りの飛行機でも気を紛らわすのに映画を見まくりました。
行きで「ターミナル」「コラテラル」などを先行で見ましたが、
そのとき見逃した「トゥー・ブラザーズ」を見ようと決心。
それなのに思っていたより疲れていたらしく、
途中ぱったりと眠ってしまいました。
それで見始めたのが到着二時間前ほど前だったために、
「トゥー・ブラザーズ」のラストが見られなかった!
二頭の虎ちゃんたちが森で火に囲まれたところでぶちーん。
画面がとぎれました。ヒドイ…
そうして新たにパリに住むという野望を抱えつつの帰国でした。
帰ってきてすぐ、やっぱり多少なりと皆様にお会いしたくて
ネット界へ出没。
直接おみやげを渡せないかわりに、レポを書いてみました。
写真が出来上がってきたらアップしますね。
おつきあいありがとうございましたv
++パリ旅行記最終日 了++
ねりちょぎ
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